「ほら、ツルッと抜けちゃいました」
その女性はそう言ってボクにつまんでみせた。
思いの外、長くてがっちり太い。
根元のほうには付いていた血を拭き取った痕跡がある。
ボクは少し頭に残る痺れを感じながら、
言葉にならない声を呻いて再び台に横たわった。
眩しい照明を間近にあてられると、
鉄のような重たい血の味が舌に広がっていった。
それから、、、
――――――――――――――――――――――
八重歯をですね、抜いたですよ、ボクは。
担当の歯医者さんがね、
これが若くてなかなか美人さんでしてね。
おまけにか細くってね、
いかにも非力そうなんです。
こんなひとがペンチ片手に歯を抜けるのかと
密かな不安を抱きましたよ。
工作で間違えて打った釘を抜くのとはワケが違うんだから。

そんなこと思いながらですね、
先生が作業に取り掛かってみたらば、
それがあっさり抜けちゃったんですね。

「ほら、ツルッと抜けちゃいました」と言ってね。
抜けたての歯に付いていた血を綿でフキフキしてからね、
女医先生がピンセットでつまんでボクに見せるんです。
なんだか大きなタケノコを掘り当てて自慢するみたいに。
長いし、太いし、大人の歯ってこんなにデカイのかって
自分でも驚いちゃいました。

「ああほんとだ」と言ったつもりが、
麻酔の効いたダラシナイ口許なので、
「あわわわあ」となって言葉になりません。

しかしね、
人の歯を抜いたのを「ツルッと」って、
そんな擬音表現しますかね。
しかも語尾は「ちゃいました」だよ。
先生が若くてなかなか美人な女医先生だったから余計にね。
いろんなことを考えちゃいましたよ。

無事に八重歯を抜きましたらね、
頬の内側に今までにないスペースができました。
頬の上から触ってみると、
八重歯がぽっこり膨らんでいたのが無くなってるの。
頬の内側を歯で噛んじゃって痛い思いをするのがなくなるな。
鏡を見ると気づくのは自分だけだろうけど、
ほんの少し頬がこけた感じがする。

ロバートデニーロが奥歯を抜いて役作り（顔作り？）したのは有名な話。
デニーロに心酔した松田優作も｢野獣死すべし｣で奥歯を抜いたって。
坂本スミ子は「楢山節考」の老婆役のために全部抜歯しちゃた。
スミ子はハヌキングだね、役作りの。

ボクの抜歯は役作りじゃないッスよ。虫歯だったからですよ。