いまどきの中学生は技術の授業でコンピュータを勉強するようですが、
テスト問題を見せてもらったらまるでMicrosoft検定です。
1.一番新しいWindowsの名前は?
2.それを作った会社名は?
3.マウスの左ボタンを1回押すことを何という?
4.マウスの右ボタンを押すことを何という?
5.ワープロのソフトは?
6.表計算のソフトは?
答えは1.vista 2.Microsoft 3.クリック 4.右クリック 5.ワード、一太郎 6.エクセル
一方でフロッピーディスクについて、サイズ、容量、弱いものは?と聞いています。答えは3.5インチ、1.44MB、湿気・磁気なのですが、今となってはフロッピーディスク自体が珍しいのにこんなことを覚えさせられるってお気の毒です。
OSのバージョン名はそのうち新しいのが出れば変わるし、
ワープロや表計算のソフトの名前なんて覚えてどうするんでしょう。
こういうことをしたいときに使うのがワープロソフトで、
こんなことをするために便利なのは表計算ソフトというように、
使うコンピュータのOSがMacであろうと、Windowsであろうと、
パーソナルコンピュータを使うために必要な基本は、
目的と手段の関係を明確にすることじゃないかなぁと思ってみたりして。
Mac派のボクは、ついついそんなことを考えてしまいました。
義務教育のコンピュータ教育が英語教育の二の舞いにならなければよいのですが。
数年前にビル・ゲイツが来日して文部科学省にお願いして帰ったのは、こういうことだったのですかね?
最近、Macのシェアが伸びたと言ってもせいぜい5%だそうですから、
一般論がde facto standardのWindows寄りになるのは仕方ないのですけれどね。
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