mrguppのブログ

2005年から始めたMIXIの日記をブログに移植しました。MIXIで使用した画像はうまいこと移動できなかったので後からひとつひとつ貼り付けています。ところどころMIXIならではのおかしな部分が残っていたらご容赦ください。


何人かの名前を入れると勝手に相関図を作って、その関係すら勝手にキメてしまう「相関図ジェネレータ」というサイトをみつけた。
いろいろと名前を入れ替えて何度か相関図を作ってみたら、すぐに飽きてしまった。
会社のエライ人たちの名前でも入れて遊んでみてください。案外ズバッと当たることがあるかも!
http://genzu.net/sokan/


先週末の土日は会社の管理職だけの旅行があり、会津若松まで行ってきました。
郡山まで新幹線、そこから磐越西線に乗り換えて会津若松まで。どちらも1時間半ほどで計3時間ほどの列車の旅というか移動。会津若松まで行っても紅葉はまだでしたよ。

東京を11時過ぎに出たので、乗り換えの郡山で駅弁を買って昼食とした。
地元のひとはどう思うネーミングなのだろう?中身は普通の幕の内弁当でしたけどね。

駅から少し歩いたところに会津町方伝承館という施設があり、そこでレンタサイクルを借りる予定。駅からとぼとぼ歩いて行くと、シャッター通り商店街の様相はここにもありました。

電器屋の看板を掲げているのに閉められたガラス戸の向こうには練炭のダンボールが高く積まれていたりして何屋さんなのかよくわからない店もあった。パーラーの店先に藪からスティックにキカイダーの巨大フィギュアが立っている。30年以上前にボクの住む街でも見かけた懐かしいガチャガチャのマシンである。

身分証明書を見せて自転車を借りる。普通のママチャリが1日500円で町の4箇所にセンターがありどこでも返却可能なので便利である。さっそく前カゴに荷物を放り込み、キコキコとペダルを漕いで街を流す。すぐに見えてきたのが「野口英世青春通り」という看板。
下調べでこんな通りがあることはわかっていたが、ボクは勘違いして「野口英世青春ストリート」と言っていた。なんだかどこかのラジオ番組のタイトルみたいです。

明治大正時代の旧い佇まいを残す建物が数多く現存していて、なかなか風情のある地域がありました。会津若松駅から七日町(なぬかまち)駅に向かっていった辺りです。マダーム旅行者たちにはこりゃきっとタマランでしょうな。

お城を見たり、白虎隊の記念館を見たり、飯盛山に登ったりと一通りの観光コースを巡っていると、街中の駐車場の看板がちょっと変。
これじゃ「今月は駐車場どうするの?」って不動産屋が毎月催促に来そうな感じで落ち着かないんじゃないかな。

町にある4つの自転車センターのうちで宿に近いところに自転車を返却して、バスに乗って目的の温泉街へ。射的場もストリップ小屋もあるタダシイ温泉街であります。
部屋に行き荷物を置いたら、すぐに温泉に入ってのんびりゆったり。ホテルの三階にある露天ですが、高台にあるため会津若松の街を一望できます。方角がちょうど西向きのため夕焼けがキレイでしたが、さすがに風呂までデジカメを持ち込めなかったのでココでは写真は無しです。

宴会場に揃ってから宴会が始まるまでダラダラと誰それの挨拶とか説明などといった段取りが長くて長くて、胡坐をかいている足が痛くなってきました。目の前にはめいめいにお膳が用意されていて、いい大人たち100人がすっかりオアズケ状態です。

宴会が始まるとどこからともなく地元の温泉芸者がどかどかとやってきた。いまどきこんな「昭和」な宴会なんて。。。その分料理とかを充実してくれればいいのに、とボクが思っていたら、芸者さん自身も「こんなに大勢でこんだけ芸者を揃える宴会も珍しいですよ」なんていってるよ、まったく。あまりにみっともない宴会風景なのでココも写真無しね。

宴タケナワの頃合で抽選会が始まった。やっぱり「昭和」な宴会だ。
宴会場に入るときに引いた紙に番号が書いてあって、その番号の席に着くことになっていました。その番号でふたたび抽選がされます。気のせいかな、上層部の人間が当たる確率が高いように思うのはボクだけ???
「47番」
「はいはいはい」
会津若松の特選日本酒セットが当たりました。元払いの宅配便伝票を渡され自宅の住所を書いて渡しました。いやぁ良い宴会です。(手のひら返し)

宴会は粛々と進行して終わり、20階のバーと地下のカラオケで二次会をセットしてあるという案内が。いちおうどっちにも顔を出しておこう。エレベータのなかで会った会社の人が「天国と地獄を行き来してるみたいだな」なんて言ってました。

そうやって夜は更けて部屋に戻り寝る。

翌朝にも温泉に入り、バイキングの朝食を摂り、ホテルをあとにする。宿の近くに近藤勇の墓があるという。近藤勇の墓って東京の調布にあるんじゃなかったっけ?ということで寄ってみることに。

急峻な斜面に張り付くように造られた階段を上り、息を上げながら山道を行くと確かにお墓がありました。そこに立てられた説明書きによると、千葉で捕らえられた近藤勇は板橋で処刑され、頭部は京都でさらしものとなり、胴体は調布に造られた墓に葬られた。新撰組の斉藤一が京都からその頭部を持ち出し、会津若松のこの地に葬り墓を立てたと書いてある。斉藤一の墓もここ会津若松にあってボクは参ってきました。

帰りの列車のなかでウトウトとしているうちに上野に帰ってきました。なんだか今回の旅行じたいがウトウトしていて見た夢だったような。

会社の旅行ってどこか変ですよね。




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