mrguppのブログ

2005年から始めたMIXIの日記をブログに移植しました。MIXIで使用した画像はうまいこと移動できなかったので後からひとつひとつ貼り付けています。ところどころMIXIならではのおかしな部分が残っていたらご容赦ください。


<<ひさびさに長文日記になりました。お時間のない方はスルーしてね>>


3連休だというのに台風の影響で天気が悪くて、どこにも出掛けることができず、始める事になったバンドの曲を家で練習していた。CDで渡されたR&Bの曲は黒人独特のリズムで、ただ音を追いかけて弾くだけならできるけれど、あのリズムがうまく表現できない。

たとえば16分音符が4つつながっていれば、普通だと「ドドドド」と4分音符を4分割した均等な長さで音を出す。しかしR&Bではそういうリズムで弾かない。少し弾んだリズムで、かといって「ドッドドッド」でもなく、「ドードドード」でもなく、文字で書くのは難しいけど敢えて書けば「ドォドドォド」というような感じに弾かなきゃならない。ムズカシ~!!

連休二日目も降り続く雨を恨めしげに眺めながら、ベースを練習するのにもいい加減煮詰まってきていた。ようやく夜には台風が過ぎて、夜空に薄く雲をたなびかせてはいるものの暗いなりに青空も顔をのぞかせ、台風一過らしい乾いた風が勢いよく吹いていた。明日は出掛けられるのかな。

連休最終日の朝は天気を期待して目を覚ました。天気を期待して目を覚ますなんて普段はなかなかない。ガバッと勢いよくカーテンを開けると、雲は多いけれど曇天というよりは晴れと言ってよい天気だった。期待していた分、気分もよろしいです。したくをする動きも心なしか軽やか。

午前11時にエンジンを掛けて走りはじめたんだけれど、どこに行くかを決めていなかった。地図も持ってこなかったので、とりあえず近くて慣れている関越自動車道の練馬入口に向かう。

薄く雲はあるものの晴れた空のもとに広がる、台風の雨と風に洗われた街並みの光景は目に心地良い。遠乗り用に長袖のブルゾンを着ていたので直射日光は遮られ、乾いた風が服のなかを通り抜けていきとても快適。

出かける直前に新潟で大きな地震があったとニュース速報が伝えているのをチラッと見た。バイクに乗っているとラジオを聴くこともできないのでその後の状況は知らないままだったけれど、新潟方面に向かう関越道でテレビ局の中継車が数台走っていくのを見かけた。これはかなり大きな被害が出ているのでは?と心配になった。

80~100km/hでのんびり走っていると、遠くに見える赤城山や浅間山を眺める余裕もある。梅雨時期なのでこれらの山頂付近にはさすがに重そうな雲が溜まっていた。

台風がすっかり水分を落とした後だから雨にはなってはいないだろうが、かなり濃い霧が出ているに違いない。赤城山の雲のほうが色濃くてなんだかキケンな感じがした。

浅間山の裾野をぐるっと周って来よう。

藤岡ジャンクションで関越道から上信越道に別れていく。しばらくすると見えてくるのが妙義山。隆起してから年月が比較的浅いのか、山肌は荒々しく樹木も少なく崖のようになっている。
北から流れてくる気流が山にぶつかって上昇し、上空で累々と雲になっていくのが肉眼でわかる。暗い雲と褐色の山肌が相俟って辺りは水墨画の様相を呈している。

そこから3つ北に抜けるトンネルを抜けるとガクンと気温が下がった。ブルゾンを着ていても風がヒンヤリするのがわかった。明らかに湿気も増してきたのもわかる。これは搭乗者が露出されているバイクならではの体験ですね。

軽井沢で高速を降りると街の中心地に向かう道は、車の初詣か?と思うくらいの渋滞だ。やっぱり世の中は連休なんだな~。ナンバープレートを見ると関東に限らず日本中の地名があれこれと並んでいる。

以前によく遊びに来た軽井沢の道はそれなりに詳しいので、ひょいとバイクをUターンさせて裏道に逃げ込む。スイスイと走れるのでいい気になれたのもつかの間、また車の列が見えてきた。大通りと交差する交差点ではどうしても渋滞が起きてしまうのだろう。車の脇を慎重にすり抜けて車列をやり過ごし、大通りの交差点を渋滞とは反対に曲がる。

浅間山を右手に見上げながら国道を西に走り、山の西側の裾野を周って行くのであろう道にアタリをつけて、一度も入っていったことがない道へ勘だけで右折してみた。
しばらく登りが続いたあとにゆるやかな高原のような地帯があり、そこから左手、西の眼下に長野県の上田市らしき集落が見えた。

さらに登って山に入ると右矢印の看板があって「浅間山荘」と案内していた。
「へえ、この先にあの浅間山荘があるのか、行ってみようかな」などと考えたけれどやめた。すでに山深くなっていたので不用意に道を逸れて未舗装路に出たりしたら、そんなところをハーレーで走れる自信がボクにはない。

そこから先はクネクネとたくさんのヘアピンカーブをこなして2000m近くまで標高を稼いでいくと、予想通り深い霧に包まれていった。対向車を見ると濡れた様子がないのでこのまま峠を越しても雨に降られないのがわかって少し安心した。
霧のなかで初めて走る峠道ではスピードは出せないし、霧が陽光を遮って周囲が暗くなって不安。でも、そこは気持ちを切り替えてしっかりスピードを落として霧の山道を楽しんだ。

ほどなく峠に出たのだが、霧で視界は10mもない。バイクのスピードも20~30km/hがせいぜい。峠の向こう側に下りる道が二股に別れていたが、左への道は封鎖されていた。何が原因で封鎖されているのかバイクからは看板の文字が読めなかったけれど、きっとこの霧の深さが原因なのだろうと思ってバイクを降りて読みに行かなかった。道は右にしかないのでそちらを下りていった。

あとで思えばこのとき、バイクを降りて係員に話を聞きに行けばよかったのである。

5分も走らないうちに幅員減少の標識が出てきたのでスピードをゆるめると、その先はなんと最も恐れていた未舗装路、バイク乗りはダートと呼ぶ砂利道!しかも軽自動車一台分ほどの道幅しかない!!

引き返そうかな。正直に言えばそうしたかったのだけど、浅間山の裾野をグルっと周ろうという目論見は崩れてしまう。深い霧のなかをあのクネクネ道にもう一度戻るのも気が向かない。

ままよ!とばかりに砂利道に入っていきましたよ。

左右から草木が張り出しているのを避けるために車が残した右と左の轍を使い分けながら、浅間山の西中腹の峠から北斜面へとガラガラと音をたてながら、のろのろと下っていった。
未舗装路のヘアピンカーブはタチが悪い。スピードを出せば横に滑るし、スピードが遅いと砂利がタイヤを絡みついて安定しない。こんな対向車も来ないところでコケたら誰にも助けてもらえそうにない。

砂利道なのでバイクもボクも全体的にすごい震動なのですが、スピードが遅いのでどこからか飛んできたでっかい蝿がガソリンタンクに張り付いたままでいて、そんなどうでも良いことがこんな緊迫した場面に限って気になって気になって。。。

30分でしょうか。1時間でしょうか。
背水の陣でこれほど時間を過ごしたのはいつ以来でしょう。とてつもなく長い時間、砂利道と悪戦苦闘をしていたような気がして、もうかなり下りてきたはずだよなぁと思ったころに、山肌から大量の地下水が滲みだしているのに遭遇。その水が広い範囲で砂利道を横断して細い川のようになっていた。今度はバイクで川を渡るのですか!カミはボクに何の試練をお与えなのでしょう。

教習所でもやったことがないほど両ひざに力を入れてガソリンタンクをがっちり挟み込み、そろそろと水を渡る。ちょっとアクセルをひねるとタイヤがキュッと石の上を滑るのがわかるのです。ヒャっ!と誰の耳にも届かない悲鳴をあげる。身がすくむとはまさにこのことで。
ようやく舗装道にでたときは体中の緊張がすっかり解けてしまい、まるで茹ですぎたうどんのようになっていました。ゆるいコーナーを曲がるのにフラフラと壁にぶつかりそうになりました。ヤバイ、ヤバイ。

体も気分もすっかりほぐれたあとはお天気も良くなり、道の両サイドにのほほんとキャベツ畑が広がる北海道のような舗装農道をひた走っていたら国道に出ました。景色に見覚えがあるなと思ったら以前に何度か通ったことのある国道でした。
ここで時計を見ると午後3時半。さらにここから志賀高原まで足を延ばそうかとも思っていたけれど、もう帰路に就かないとマズイ。

すぐに鬼押しハイウェイという有料道路に入り、浅間山の東横腹を突っ切って軽井沢の街に降りて行った。
この道は森や林に囲まれていて霧も深く幻想的な光景を作り出していた。その光景に触発されてか、ふしぎなもので走りながら頭のなかには、大学一年のときに読んでそれ以来大好きな「避暑地の猫」という宮本輝の小説のストーリーが蘇っていました。

街中では相変らず渋滞が続く間に、昼間の雲が冷やされてポツポツと小粒の雨になって落ちてきた。雨具の用意もなかったので、大急ぎで来たときと同じインターチェンジから高速に入って帰って行った。来るときにガクンと気温が下がったと感じたトンネルを抜けるとき、今度はそこを境に雨が上がりました。

走行距離420km。7時間半走り通し。結局昼食も摂りそびれました。ガソリンスタンドで給油のときもバイクに跨ったまま。バイクを降りたのは鬼押出しでトイレに行った一回だけでした。

東京に向かうボクとは逆向きに、「災害支援」と書いた布をつけた自衛隊の物資運搬用車両や、モスグリーン色のバイクやヘルメット、装束に身を固めた忍者部隊月光(皆さん、知らないか・・・笑)のような自衛隊のバイク部隊が走っていくのが見えた。

自衛隊バイク部隊は道路が寸断されてしまうような震災地ではとくに活躍するようですね。バイクの種類が違うとはいえ、ボクのようにダートひとつで悲鳴をあげていては勤まらない仕事なんだよな~。

ボクの父親も陸上自衛隊員でした。小学生のころ、ゴールデンタイムに自分の好きなテレビ番組が観られる日は、そういえば日本のどこかで災害や水不足になっているときだったっけ。




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