mrguppのブログ

2005年から始めたMIXIの日記をブログに移植しました。MIXIで使用した画像はうまいこと移動できなかったので後からひとつひとつ貼り付けています。ところどころMIXIならではのおかしな部分が残っていたらご容赦ください。


先週一杯、ボクはいったいどうなるんだろう?と艱難、焦燥、塗炭の苦しみで過ごしていました。

以前に速度違反のことを日記にしるしましたが、それ以前の速度違反と累積されて免許取消し処分に相当しますという配達証明が届いていた。それまでゴールド免許でしたから、以前の違反は三ヶ月経って消えていると思っていた。経ってなかったみたい。
それと刑事処分(罰金)のほうも日記に書いたようにまだ地検で保留されたまま。しかし、刑事処分は保留されていても行政処分は独自に執行されるんですね。
去年の10月に大型二輪の免許をとってバイクも買ったのに取消し!そうなれば一年間はどんな免許も再取得はできない。しかも車もバイクもすべての免許を一から取り直しだ。

先日、菊御紋の桜田門警視庁に参りました。社会科見学以外でこんなところを訪れるもんじゃないですね。
免許取消し処分対象者への聴聞会というものが開かれたのです。点数が達したからといって一概に処分するのではなく、処分対象者の事情や弁明を聞く機会を与えるという趣旨だそうです。主張を争う場ではないことを念押ししていました。

集合した処分対象者は3つの部屋に分けられました。ボクと同部屋には30人。裁判法廷のようなレイアウトで、正面の裁判官の席に公安委員。向かって右に警察官が臨席。処分対象者は公安委員に正対して被告席の位置に腰掛ける。机と椅子と掛け時計以外に違反点数表があるだけの殺風景な部屋。他の処分対象者が傍聴者のように見守るなか、一人ずつ中央席に呼ばれて氏名を述べると、処分理由が読み上げられ違反内容についての質問があり、自ら事情説明、弁明をする。

上野公園の西郷さんのように眉毛が太くがっちりした顔つきで、柔道か何かで鍛えただろう体躯。草野仁みたいなタイプといえばイメージしやすいだろうか。そんな公安委員が入場して聴聞が始った。
他のひとの話を聞いていると、最初に氏名すら言わないひとも多く、違反内容もかなりおおごとになっているひとばかりで驚いた。

泥酔して運転し、制止しようとした人を引きずったまま走り全く記憶が無いというひとは一発45点減点。「もう会社も辞めましたし、車の運転もしません。免許も返納します」と言っていた。んんんむ。。。
免停や取消しの前歴があるのに再度の免停中に2,3分の距離のコンビニに車で買い物に行って無免許運転。
交差点で歩行者相手に事故を起こし、相手に怪我をさせた自覚があるのに逃げた。
どちらもだいたい減点30点台。

免停中に乗った、負傷者の介抱をせずに去った、大量飲酒といったひとばかり。文字通り「同じ穴のムジナ」であるボクが言えることではないけど、それらのあまりのことにアングリ。あらためて自分がここにいることを大いに反省する。
ほとんどのひとが最初から諦めてしまっているのか、特に反省しているようなことも言わず、ロクに弁明もしない。

中には、当たり屋にやられたんじゃないのか?と疑われるオバサマもいた。ゆっくり走っていてドアミラーが当たったと因縁をつけられ警察に届けられた。自分ではぶつかった自覚はないというのに取消し処分相当の減点をされ、半年以上毎月30数万円の慰謝料を払っているという。気の毒に。きっとこれは事件になる。

自分がいるのと別のところでは、ボクの思いも及ばないようなことが起こったり、思いもしない価値観があったりする。MIXIを始めてから感じていたその思いは、聴聞会場で更に強いものになった。

ボクが聴聞される順番は最後の方でした。数日前から何を話すのかは言葉使いもかなり推敲して、頭の中で慎重に整理し、準備をして臨みました。弁明では違反時の自分の状態と道路状況を冷静に詳細に正直にきっちりと話した。

全員の聴聞が約1時間半で終わり、聴聞内容が審議される間は1時間半の休憩時間。審議が済み休憩が終わると立ち会っていた警察官が部屋に戻り、ひとりひとりを呼ぶ。公安委員の姿はもうない。
「○○さんね、今回はこういう処分になってしまいまして・・・」
小さな声で話しているけれど聞こえてきてしまう。次から次へとひとが呼ばれるが全員同じ。どうやらここで名前を呼ばれたらoutらしい。目をつぶって耳を澄ましていましたが、同じセリフばかりが聞こえてくる。。。

「え~、あとまだ名前を呼ばれていない方!」
違うセリフだ!目を見開いて挙手をした。

聴聞の結果、ボクは取消し処分を減免されて180日間(半年)の免停処分となりました。更に免停者講習というものを受けると処分が最大80日短縮されて100日間停止(3ケ月ちょっと)になります。
同室で減免者はたった3人。一割の確率。前述のオバサマもやはり減免されていました、よかったです。
これでも東京都の公安委員会は相対的に全国で一番甘いと言われ、ボクのケースでも神奈川県で減免されることは絶望的と同室のひとが教えてくれました。都民で良かったと思った瞬間でした。

身から出たサビとは言え、やっとの思いでこのヤマ場をかい潜り抜け、お陰様で現状においては最善の結果が出ました。単純に言えることではないけれど、最悪の事態にはならなかったのだからよかったと思うことにします。

ここしばらく、やたらと一人でバイクで走り回って日記に書いていたのも、実はこんな背景があったから。
それを読んでツーリングに行こうと声を掛けてくれ、水沢うどん、尻焼温泉へ一緒に行ってくれたKXさん、ありがとうございました。道理でゆっくりと走っていたわけだと納得していただけました?

帰りのパーキングエリアで別れて、ボクが先に走って去ったときに「後ろ姿がなんだか寂しそうだった」とあとでメッセージをくれました。自分の気持ちはさすがに背中でまでは隠せなかったんだと知り驚きました。おとこの背中ったら恐るべし。黙っててゴメンなさい。でもあの時はやはりまだ言えませんでした。
あの翌日にバイクを6ヶ月点検に出し、丁寧に厳重にカバーを掛けて少なくとも一年間は乗らないつもりで封印しておきました。

少し話が変わります。

A地点からB地点まで、その直線距離はどんな計測をしてもその距離は変わらない。
しかし、道に沿った道のりの距離は測る物差しが短くなるほどに距離が延びると言います。道が曲がりくねり、角が多いほど、測る物差しが短くなればなるほどに実測距離は延びるんだそうです。より精密に計測すればするほど道のりは長くなるということです。
もちろん数式で計算すればそんなことはありません。うまく説明できませんがわかりますかね?

自分の来し方行く末にだって同じことが言えるのかも知れない。その話を本で読んだ時にそう思いました。
小さい単位で自分のことを考えていくととても精密にはなるけれど、その分一生そのものがとてつもなく長いものに感じられてしまうのかも。
いつも少し大きめな物差しで測るようにしていれば、今より少しはゆったりと人のことも自分のことも見られるようになるのかも知れない。己が行く道がより曲がりくねって、角が多ければ多いほどに効果的なのかも知れない。そう思うとボクは精密でなくてもよいからゆったりと大きな物差しを持っていたい。

この100日を長いと考えるか、短いと考えるか。それがボクの免停以降の運転に対する意識に違いをもたらすことになりそうです。期間については大きめのものさしでゆったりと構え、運転については慎重に測ってみたいと思います。




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